能智プロジェクトは2025年4月から、ポスコロSIP山中チーム(室蘭工業大学)と連携し、北海道伊達市の先生方との共働の機会を得ました。山中チームおよび伊達市との連携を記念し、北海道伊達市や伊達市の学校の魅力や能智プロジェクトの活動の様子をご紹介。ナビゲーターは北海道伊達市にお住まいのフリージャーナリスト粟島暁浩さんです。地元目線で語られる能智プロジェクトの魅力もぜひ堪能ください。
第3回 北海道最古の小学校(下) 伊達市立東小学校
【サムライたちの教育熱 今に伝えるもう一つの「最古」】
伊達市立東小学校の校⻑室と玄関ホールに飾られている、モノクロの 2 人の人物写真。北の伊達を開いた、亘理伊達家 15 代当主の伊達邦成(写真左)と重臣の田村顕允です。明治5(1872)年に設立された官立学校・有珠郷学校の流れをくむ、現在の伊達小学校とともに道内最古となる 150 年余の歴史を今に伝えています。
「北の湘南」と呼ばれ住み良い伊達市ではありますが、有珠郷学校ができた明治初期の開墾は想像を絶する苦難の連続でした。
伊達市開基 150 年を記念し発行された「北の大地と生きる」(2019 年、伊達市教育委員会)によると、伊達邦成は陸路で今の宮城から⻘森を目指し、そこから船で津軽海峡を渡り蝦夷(えぞ)地へ。車などない時代。険しい原生林が広がる細い道を進み、函館から 5日がかりで伊達にたどり着いたそうです。
移住は少しずつ進んでいきますが、ここは北海道。畑をおこしても不作による飢え、雪や寒さに悩まされました。そんな状況にあっても、先人は子どもたちに教育が必要と考えていたのです。
現東小校⻑の佐藤淳さんは今から二十数年前、同校の教員でした。「当時は各教室に邦成公と田村氏の写真が飾られていました。歴史の重みを感じます」。
亘理伊達家が伊達に移住を進めていた明治 11(1878)年、砂糖の原料となるテンサイ(ビートとも呼ばれます)の栽培が試みられました。後に官営製糖所の設立につながった歴史もあり、佐藤さんは東小の教員としてビートの栽培と砂糖づくりの学習を発案し実践します。
「当時はここまで続くとは思っていませんでしたので、感慨深いです」。この学習はふるさと創生教育の「だて学」へとつながり、今も 4 年生が学んでいます。
【新型コロナに負けず 宮城県亘理小学校との交流今も】
北の伊達と亘理のつながりは、姉妹校の宮城県亘理町立亘理小学校との交流が今も続いていることからもうかがえます。
昭和 54(1979)年 2 月、東小と亘理小学校は姉妹校のちぎりを交わします。同 58 年から交互に児童とPTAが行き来する交流がスタート。訪問先では⺠泊を続けてきましたが、新型コロナ禍で自粛に。今秋の東小児童の亘理小訪問からいよいよ、本来の姿に戻るそうです。
【地域に根付く さんさ時雨】
伊達家がルーツの文化として地域に根付いているのが「さんさ時雨」です。天正 17(1589)年に亘理伊達家当主の伊達成実が詠んだ詩に感嘆した伊達政宗が⺠謡に作り替え、戦から凱旋する際に陣中の武士たちに歌わせたことに由来する舞いとされます。
東小では、亘理小との姉妹校締結をきっかけに、さんさ時雨を課外活動として受け継ごうとの機運が高まります。「伊達市さんさ時雨保存会」を結成し、児童と地域住⺠が今も練習に励む日々です。
平成 20(2008)年には伊達市の無形⺠俗文化財に指定。北の伊達を代表する祭典の伊達武者まつりなどで披露されています。
【歴史を胸に、新たな時代へ】
東小の敷地内には、旧校舎が一部残っています。そこには住⺠が寄贈した農機具、甲冑や陣羽織、明治時代の卒業証書などが保存され、旧校舎の門も「東紋別小学校」と当時のままの姿です。
開校 150 周年記念式典を 2022(令和 4)年に挙行した東小。学校教育目標には「心身共に健全で教養高く、個性豊かで勤労を愛する人間」「開拓精神に燃え、社会の発展に貢献する意欲的な人間」とあります。
「学問だけではなく、働くことなど幅広く育てることを目指しています。子どもたちが笑顔で帰ること。そして可能性を伸ばす教育に取り組み、歴史と伝統を胸に社会発展に貢献できる人材を育てていきたい」(佐藤さん)と力を込めていました。
(粟島暁浩)
