シンポジウム
語り合い学び合いつながり合う自治体教創コンソーシアム 設立準備会発足発表会リポート 柳川範之教授記念講演
■独学と学びの意味
東京大学で教鞭を執る柳川教授は、「最終学歴が中卒だった期間が10年ほどあった」という意外な生い立ちから語り始めました 。父の仕事の都合で中学卒業後に渡ったブラジルでは、現地の日本人学校が中学までしかなく、言葉の壁もあったため、日本から取り寄せた参考書で独学を余儀なくされたそうです 。
その後、帰国して大検(現・高卒認定)に合格 。父の転勤先であるシンガポールから慶応義塾大学の通信教育課程を受講します 。当時はネットがなく、高額な送料を払ってエアメールでレポートを提出する日々でした 。
「おそらく海外からの受講は僕が初めてで、大学の事務の方に頼み込んでエアメールでテキストを送ってもらった。当時、ネット環境はなく、特別の送料を支払ってレポートの提出をしていた」
卒業までの間、学歴上は「中卒」のままでしたが、この過酷な環境での学びが今の原点となっています 。
特に印象深かったのは、夏の1カ月間、汗だくで受けたスクーリング授業。「学びたい意欲を持つ人々が集まる教室には、圧倒的な熱気があった」と柳川教授は強調します 。
「当時は冷房がなく、8月の暑い中ひたすら汗だくで授業を受けた。扇風機は教授の方にしか向いてなくて本当に暑かった」。学生として、大学で今、教える立場で教育に携われる中で「本当に熱意があって、一番良い授業だったのは慶応のスクーリングだった」と懐かしそうに振り返ります。
そのうえで、学ぶとは何か、教育するというのは何なのか、ということをずっと考えているそうです。
「ずっと独学だったこともあり、独学のメリットとか、人それぞれに勉強の仕方があるのではないか」。
もう一点、経済学者として近年の経済の動きを見る中で、「生成AIの発達というものは非常に大きい」と感じています。「教育の手法や人間の能力の開発のあり方、大学の教育自体も大きく変わっている」。
■柳川教授が考える「教育という営みは『共に悩むこと』」。
柳川教授が考える「教育という営み」とは、一方的な伝達ではなく、学習者と「共に悩むこと」であるそうです 。
「教育の原点は響き合うこと、という(宮本室長補佐の)お話に共通しますが、悩むことが大事になってきている」。
「よく知っている人が知らない人に、上から何かを教える。そんな上から下に何かを伝えるっていう時代ではもうなくなってきているのではないか」と考えます。「上も下もなく、先生も生徒とともに悩み合う。それがこれからの教育になっていくのではないか」とこれからの教育あり方を見通します。
■ 教育がもたらす「社会的インパクト」
柳川教授は、これまでの経済政策を振り返り、単なる投資だけでは成長に限界があると指摘します 。
「国の経済政策を見ていて思うのは、安倍政権のころから成長戦略をずっと行ってきていて、政府がどれだけ旗を振って投資しても、なかなか成長率が上がってこなかった」
その上で、「AIは世界中で官民あげて大きな投資をしている。日本もしっかり民間が投資してAI関連の産業が活発化すると成長できるかもしれない」とみています。
歴代政権の流れを知る立場から「政策は根本的につながっているものが相当ある」と強調します。具体的には「成長投資」「地方創生」「社会課題解決」「人的投資」の4点。
「インパクトの面では、社会課題解決、人材育成に政府は力を入れてきた」。現政権では成長投資にあたります。
ただ、AIにすべて投資しても「経済は成長しない。やはり人がしっかり成長しないと車の両輪としては回っていかない。そこには教育が含まれている」といいます。「単に人材育成をすればいい、経済成長すればいいのではなく、社会的解決を重視してきた。それが社会的インパクト」と説明しました。
そこで重要になるのが「社会的インパクト」です 。これは、短期的には利益やGDPに直結しなくても、社会課題の解決や人々のウェルビーイングを高める投資を指します 。
「教育こそ、最も大きなインパクトを持つ投資である」と柳川教授は訴えます 。良い人材が育つことは社会全体の利益(外部性)となります 。自治体が中心となり、教育を「自分たちの課題」として捉え直す(内部化する)ことが、地域活性化の鍵となります 。
この柳川教授の指摘こそが、この「自治体教創コンソーシアム」が目指す方向性です。
参加する全自治体は教育を「自分たちの課題」として捉え直す(内部化する)ために、国のトップトップダウンではなく、自治体が自らボトムアップでそれぞれ独自の問いを立て、「教育という営み」を通じて、人口減少課題など社会課題解決を目指していきます(中編参照)。その過程を、東京大学や福知山公立大学はもちろんのこと、室蘭工業大学、北陸先端大学院大学等、ポスコロSIPで連携する高等教育機関が支援していきます。
「教育は社会にとって重要な投資。良い人材が育つことで経済全体の活性化にもつながる」とし、社会課題解決やインパクト投資の大きな要素は教育と強調します。
「東京や大阪だけではなく、日本のさまざまな地域が活性化していく必要がある」新型コロナウィルスの終息以降、安心で健康な暮らしの大切さが広く認識され、「社会的インパクトが非常に大きなポイントとなってきた」と見ています。
■外部性の内部化が重要
経済学では、企業などの活動が意図せず誰かの利益や不利益を与える「外部性」と、内部努力で利益がある「内部性」という見方があります。具体的に外部性の負の面は、CO2排出により招いた地球温暖化、利益追求よる公害が挙げられます。
「ある意味、教育も外部性の一つ」といいます。ただ、外部性は負の面ばかりではなく「自分の子の教育は大事ですが、自分の子ども自体の利益だけではなく、社会に貢献しうる良い人材にも育てば社会全体が良くなる」とし、「教育の問題をいかに内部化するかが重要。特に義務教育」と訴えかけます。
外部性の内部化実現に向けて、大きな主体となるのは「個々人ではなく全体が見えている自治体」であり「積極的に関与をした教育が行われていくようにする必要がある」といいます。その上で「教育ほどインパクトがあるものはない。そこに積極的に投資するのが大事で、社会的インパクトがある活動自体が教育を変えていく側面もある」と強調します。
その例として、「発展途上国に関する取り組みを各地で行うことで、地域貢献や途上国への支援に目覚めることもある」とし、教育と社会的インパクトの相互作用を挙げます。この輪が広まることで地域が望ましい方向になっていく。これこそが、「経済学者として人材育成や人材投資に取り組む意義」と伝えました。
■ AI時代に求められる「問いを立てる力」
では、これから望まれ、必要とされる教育とはどういうものなのでしょう。柳川教授は「教育に大きな影響を与えているのはAIの発達」を挙げます。
発達のスピードは相当なもので、「人間が必要とされる能力が変わっている」、そのため「人間が必要とされなくなる」「AIが全部やってくれる」と考える人もいます。ただ柳川教授は「当面はAIが完全に人を代替していくのは難しい」と見ているようです。
「AIと人間の相互関係をどう考えるのか。もっと言えば、うまくAIを使いこなせる人材をどう育てるかが大事」と訴えます。
人とAIの補完関係をどう作るかの一番のポイントは「問いを立てる能力」といいます。「いかにうまく問いを立てて、問題を提示できるかに尽きる」。
「これまでの学校教育は先生が問題を出し、生徒がそれに答える。大学入試は大学が試験問題を出し、生徒が答え、しっかり答えられた人が合格する。この構造が変わりつつある」と指摘します。
それはAIが100%正しいとは限らないものの、瞬時に答えを出力できるからです。特に大学は大きな影響を受けていて、「レポートは学生に課せなくなっている」といいます。
例えば、この10年間の日本の金融政策の歴史を振り返り、どのような変遷があったかを3000字でまとめる、という課題は、ある程度考えなければ書けませんでした。「でも今は5分もせず、AIがほぼ完璧なものを出してくる」。
ただ、AIは答えを出してくれますが「人間がうまく問いを立てないと、AIがうまい答えが返ってこない。もっと言えば、AIが答えたことに対し『もっと掘り下げて』『これは違う』『この問題の考え方は』などさらにAIに問うことが必要」といいます。つまり、プロンプトエンジニアリング(注)が重要です。
「問いを立てる能力が、これからは決定的に重要になる。それは学校教育もそうだし、本当は入試についても考えていかなければならないと思う」。
(注)プロンプトエンジニアリング ChatGPTなどの生成AIから「期待通りの、質の高い回答」を引き出すために、AIへの指示(プロンプト)を戦略的に設計・最適化する技術やプロセスのこと
■重要なのは「好奇心」「多様な知に触れること」
柳川教授は、問いを立てる能力を身につける上で重要な点を二つ挙げます。一つは、「好奇心」。もう一つは「多様な知に触れること」です。
好奇心は誰でも持っていて、小さなころは好奇心の塊でした。
「ところが、小さな子どもは『どうして』『なんで』と好奇心がいっぱいですが、あまりにずっと聞かれるとうるさいから、大人が何度も聞かれるのを避けるため『疑問に思わずとにかく覚えなさい』『勉強をして問題を解きなさい』と言う。だんだん子どもは好奇心が埋もれ、与えられた問題を解くことになっていく」。
「好奇心の上に社会性などが覆い被さり、なくなったように見える」。ここで大切なのは、覆い被さるものをしっかり外すこと。それにより好奇心は再び顔を出し、「何でこうなの、とか、これ面白いな、もう少し知りたいと広がる」。
「好奇心から問いが生まれる。問いがさらなる深い知見を生む」。一方で、その深みを持たせるには、狭いエリアだと広がりが出ません。
そこで問題になるのがエコーチェンバー。エコーチェンバーとは、SNSなどで自分と似た価値観を持つ人々の意見や情報ばかりに触れるため、その意見が増幅・強化され、自分の考えが正しいと思い込んでしまう現象を指します。「カスタマイズされて、自分の関心がある情報やニュースしか、目に入らないようになってきている」からです。
必要とされる能力は「問いを立てること」ですが、「その問いには広がりと深みが必要。それにはより多面的な好奇心が求められ、いろんな知に接することが大切」と力を込めます。
柳川教授は具体例として、会社の中での縦割り業務を挙げます。「そこだけ重要に見えてしまい、広がりが出てこない。新しい人や、事業分野、新たなアイデアとつながってこそ会社は伸びていく。つまり縦割り業務をどれだけ外せるかにかかっている」と述べました。
そこで必要になるのがロジカルシンキング。「論理立てて頭の中が整理されていると、次に聞くことがわかる。AIが答える前の段階で、AIに何を聞けばいいかが頭の中で整理できている人は、同じようにAIを使っても非常にいい答えを得る」。
ロジカルシンキングは「トリビア的に、特定の分野の知識で終わるのはもったいない」といいます。大学でいえば経済学部と工学部で共通点がないか、全く違う発想がないか、というつながりを探すことをポイントに挙げます。
もう一つ重要なのが「多様な価値に触れる」こと。リベラルアーツを学ぶ大切さをアピールします。越境学習とも言われ、特定の専門分野にとらわれず人文科学、社会科学、自然科学といった幅広い分野を学び、そこから思考する力を養うことです。「自分にない知見に触れることで、新しい発想や気づきが生まれる」。
「今までの学校教育や試験制度に慣れていると、つい正解を探したくなる」と柳川教授。「AIが正解を出てくるようなところには、実はあまり価値はない。その意味では正解がないところにこそ付加価値があり、意義がある。これからはあまり正解を求めないことが大事になってくる」と提言します。
■個人差と教育の柔軟性
柳川教授が最後に訴えたのは、「一人ひとり、学習のスピードが違う」こと。
「僕が独学した時もそうですが、テキストでも1週間で1章ずつ順番通りにやろうとしてもうまくいかない。すごく理解が早くて進む章もあれば、時間がかかる章もある。それを無理やり決めたルール通りだと、結局わからなくて戻ってくることになる」。
通常の学校教育の枠組みでは、同じようなスピードで教えざるを得ない点を指摘します。自身が教える東大大学院を例に挙げ、「東大生は理解が早いと思っていらっしゃる方もいると思いますが、個人差が相当あります。早い人もいれば、遅い人もいる。どちらが優秀かというと、いい論文を書くのは理解が遅い人だったりする。どこかのタイミングが来ると、ぐっと伸びることもある」と感じています。
「試験だと、初速の段階で切られるので遅い人は落第だったり、入試では理解が早い人は合格だったりします。これは試験制度の限界」といいます。
「もっと長く見て、初速は遅くても後で伸びる人に良い結果をもたらしてほしい。個人差を理解して、もっとゆっくり見てあげる必要がある」と強く訴えます。
それは、生成AIの性質に通じるものがあると柳川教授は説きます。「生成AIは、ずっとデータを学習させても理解しない。ところが閾(しきい)値までくるとものすごく理解したというのはまさにこのこと。理由はわからないのです。もっと(評価に)自由度があってもいいと思うし、個人それぞれに合わせたステップワークを考えることがものすごく大事になる」と提言し、講演を締めくくりました。
