いつも「日本全国お出かけ日和」をご愛読いただきまして、ありがとうございます。
今回は日本を飛び出して海外特別編! 世界最大の心理系学会国際心理学会発表を記念して、心理支援チームサブリーダーの青山学院大学准教授・沖潮満里子先生が会場となったチェコ共和国 プラハをご案内くださいます!
日本全国お出かけ日和
特別編 チェコ共和国 プラハ
2024年7月にチェコ共和国の首都・プラハで開催されました、国際心理学会(ICP: International Congress of Psychology)に参加してまいりました。学会の合間を縫って、プラハ観光もできましたため、今回はお出かけ日和・番外編ということで、プラハについてご紹介いたします。 プラハは、中央ヨーロッパに位置する、チェコ共和国の首都です。プラハは世界でも最も美しい都市のひとつと絶賛されるほど、歴史を感じられる景観を堪能できる街です。文化や芸術も根付いており、毎日のように教会等でコンサートが開催されているようです。
■プラハ城の中を歩く
プラハ城は、プラハの中心部に位置しています。9世紀に建てられ、14世紀に現在の形になりました。以前は神聖ローマ皇帝の居城でしたが、現在は大統領府があります。ユネスコの世界文化遺産にも登録されています。城内には、聖ヴィート大聖堂、旧王宮、黄金の小道、プラハ城美術館など、さまざまな歴史的建造物があります。
プラハ城の正門を入ってすぐにそびえたっているのが聖ヴィート大聖堂です(写真1枚目)。とても大きな大聖堂で、中に入ると、美しい多数のステンドグラスに囲まれた厳かな雰囲気に、圧倒されます。なかでも見どころなのは、日本でも人気の画家であるミュシャによるステンドグラスです。(写真2枚目)
実は、旅の恥はかき捨てではないですが、私たちは初め、聖ヴィート大聖堂の入り口を誤り、「聖ヴィート大聖堂の大南塔」という、高さ約100メートルの塔に入ってしまいました。美しいステンドグラスに出会えるのを心待ちにしながら、287段ある螺旋階段をひたすら苦行のごとく上りました(途中から、どうもこの先にはなさそうだ、と思いながらもなんとか上りました)。その頂上には、287段を上り切った疲れを一掃させるプラハの絶景が広がっておりました。はじめから287段の階段とわかっていたら挑戦していなかったかもしれません、思わぬ失敗がこんなに美しい景色に出逢わせてくれたのだと、今では良い思い出です。
プラハ城には「黄金の小道」という、かつて城の射手、金細工師、錬金術師などが暮らしていた小さな家が並んでいる場所があります。とてもカラフルで歩いているだけでも楽しいところです。以前住んでいた人の中には、「変身」で有名な作家のフランツ・カフカもいたそうです。カフカが暮らしていた22番の家に入ると、そこはお土産やさんとなっており、店員さんが「ここはフランツ・カフカが住んでいた家で、彼の作品はこちらで読めます」とカフカの小説も販売されていました。
■旧市街広場の天文時計
旧市庁舎塔の天文時計は、プラハ城とならぶ、有名な観光スポットのひとつです。天文時計とは、太陽、月、十二宮の星座といった、天文学的な情報も提供してくれるものです。プラハの天文時計は、9:00-23:00の間、毎時ちょうどになると、仕掛けが動き出します。私たちも、毎時になるのを近くのカフェでビールを飲みながら待っておりました(後述しますが、チェコビールは美味しいです!)
毎時の10分前くらいから、どんどん仕掛けを一目見ようと、観光客が集まり始めました。実際に仕掛けが動くのは1分弱の短い時間ですが、みなさん息を飲みながら見惚れていました。天使の両脇の窓が開き、キリストの12使徒が現れ、時計の一番上の鳥が鳴いて終わりになります。
終わった後は、観客みんなで拍手喝采が起こりました。
チェコビール
チェコは、ピルスナービール発祥の地でも有名です。1842年にチェコ西部で初めて黄金色のビールが作られました。それまで茶褐色だったビールに比べて、味と風味が豊かなピルスナーは人気となり、たちまち世界に広まったそうです。私たちもせっかくなのでピルスナーをいただきましたが、口当たりや喉越しもよく、飲みやすかったです!
この前カフェバーに行った際、チェコの“ピルスナーウルケル”があったので、つい頼んでしまいました。美味しかったです。
今回は、紙幅の関係で、ここまでのご紹介とさせていただきますが、全体的な印象として、プラハは本当に素敵な街で、また機会があったら絶対に訪れたい(実際に私は人生で2回目の訪問でした)!と思える街でした。ぜひ近くのオーストリアやドイツにいらした際に、ふらっと立ち寄っていただけると嬉しいです!
(おきしお・まりこ)青山学院大学教育人間科学部准教授。専門は自己エスノグラフィや障害者のきょうだいなど。ポスコロSIP能智プロジェクトの前身である、トヨタ財団の「Thanks Caregivers Project」ではプロジェクトリーダーを務めていました。いわば、能智プロジェクトのファウンダーのような先生です。