研究内容
Thanks Caregivers Project powered by トヨタ財団
「Thanks Caregivers Project」とは、2018年公益財団法人トヨタ財団の研究助成対象研究「障害者を援助する人々のメンタルヘルスの支援の検討」(代表 沖潮満里子 青山学院大学 准教授)の愛称です。「Thanks Caregivers Project」では、障害者を援助する支援職や教員、そして家族の皆さん(私たちは総じてCaregiversと呼んでいます)の心理的支援に関する研究を行ってきました。
研究の成果は下記リンクからご覧いただけますが、ここでは「Caregiverとしての教師」と「癒やしのランチミーティング」をご紹介します。
Caregiverとしての教師
「Caregiverとしての教師」研究プロジェクトとは、教師の業務における対人サービス従事者の側面にも注目した研究のことです。2021年3月、東京大学大学院教育学研究科の勝野正章教授(教育行政学)、都留文科大学文学部の鶴田清司教授(教科教育学)らの共同研究グループは、就学援助率*が0%の学校に勤務する小学校教員と、最新の就学援助率全国平均値(14.72%)の学校に勤務する小学校教員の労働時間の間に週3時間40分の労働時間格差があることを明らかにし、研究成果は報道発表をいたしました。
以下、報道発表の元となった、当時のプレスリリースの?内容をそのまま転載いたします。
*就学援助率:生活保護法第6条第2項に規定する要保護児童および市町村教育委員会が生活保護法第6条第2項に規定する要保護者に準ずる程度に困窮していると認める児童が、学校全体の就学児童数に占める割合のこと。この就学援助率は貧困が関係する課題解決のための教育施策策定などにおいて、「子どもの貧困」の指標として用いられている。
■就学援助率が1%増加すると、小学校教員の労働時間が週で15分、月に1時間増加
そのため、事前に調査対象エリアの社会経済的背景を考慮して調査を実施しました。そこで本調査においては、1)調査内容を鑑み、文部科学省の就学援助率の全国平均15.02%(調査当時)より低いエリアで調査を実施すること(今回は9.02%、レンジは0%~25%)、2)1)の条件を満たす同一県内の「都市部」、「観光地」、「田園地帯」の3エリアを選択し、調査を実施しました。 分析は、「校種別(小学校・中学校)」、「生徒・児童在籍数(学校規模)」別に行いました。その結果、就学援助率は小学校教員の労働時間との間に高い有意差が見られ(p= .019)、就学援助率が1%増加すると、小学校教員の労働時間が週で15分(0.247時間)、月に1時間有意に増加することを明らかにしました。
「生徒・児童在籍数(学校規模)」、「中学校」とは有意差が見られませんでした。
2013年と2018年のOECDの「教員環境の国際比較」(通称TALIS)調査において、中学校教員の労働時間に、「部活動を含む放課後活動」が影響を与えていることが国際的に知られています。
「部活動を含む放課後活動」は教員の労働カテゴリに注目した内部要因ですが、本調査は「就学援助率」という、教員自身の改善努力が及ばない学校環境の外部要因に注目した点で独自性があります。私たちがこのような「外部要因」を問題にするのは、小学校教員が自身の意思にかかわらず労働時間が増える環境に置かれてしまうことを、広く知っていただきたいからです。
教員がベストを尽くしても、前任校よりも“なんとなく”労働時間が増えてしまうのであれば、労働意欲は減退するでしょう。また、高就学援助率学校が多いエリアの情報を教員は共有していることが多く、「あのエリアには行きたくない」と話す教員も珍しくありません。結果的に公教育の質は低下するでしょう。現在、教員志望者が減少したり、教員の離職が加速したりしていますが、問題の背景にはこのような労働時間格差も無関係ではないと考えます。
■就学援助率が高い学校の教員が行っていること ~Caregiverとしての教師
「その他」に含まれるものは、別質問項目の分析から「個人的な物品支援」、「家庭内の人間関係への相談にのる」、「経済的な問題の相談にのる」など、子どもの貧困に関係すると考えられる仕事時間であることが明らかになりました。これらの業務は、通常の教員の業務カテゴリに入りにくいことから、調査参加者も「その他」の時間として回答せざるを得なかった可能性が考えられます。このように、貧困が小学校教員の労働時間に影響を与える理由は、小学校の学級担任制という働き方が大きく影響を与えていると考えられます。
つまり、小学校教員が保護者のように「Caregiver(お世話する人)」化する時間が増加している可能性があるということです。小学校において、登校時から下校時まで担任が児童につきっきりで、授業の最中や合間に様々な生活指導を行っている風景は珍しくありません。しかし、このような状況は中学校では見られないものです。
小学校教員が「Caregiver(お世話する人)」化している状況は、すでに先行研究でも明らかになっています。たとえば、大阪大学博士課程の山口真美さんの研究(2018)では、就学援助率が30%を超える関西圏の小学校教員に対するインタビュー調査から、学校が家庭に求める役割を教員が代替している例を挙げています。具体的には、「教員が子どもに宿題を学校でやらせる」、「教員が子どもの忘れ物を準備しておいて貸す」、「教員が子どもに学校で上靴を洗わせて干させる」などです。
この状況を説明するのは、上智大学教育学部の酒井朗教授が指摘した、教育的に価値づけられた「指導」という言葉を「どんな行為をも教育的に価値づけてしまうマジックワード」として使用することで、授業時間以外の時間を増加させるという考え方です(酒井, 1998; 1999)。酒井教授の指摘に従えば、就学援助率が高い学校に勤務する小学校教員は、学校が家庭に求める役割を「指導」という言葉に基づいて代替することで、「その他」の時間を増加させてしまっていると考えられます。
調査統括である東京大学の勝野教授は本調査について以下のように説明しています。
「学級の児童生徒数を少なくする施策も重要ですし、そのような施策の効果を上げるためにも、スクールソーシャルワーカーなど学校と社会をつなげることができる専門職の充足が求められているように思います。本調査での別項目において、全回答者の約74%がスクールソーシャルワーカーを必要だと回答しており、さらに88%の回答者が、スクールソーシャルワーカーが役立っていると回答しています」
「 今後新型コロナウイルスによる経済活動の制限によって生じた貧困が明らかになっていくと、生まれて初めて貧困と向き合う世帯もあるでしょう。当然戸惑う子どもや保護者もおられると思います。ひとり親、共働きにかかわらず、どんな世帯でも、貧困と向き合う家庭と教師、学校を支援できるような環境整備を行わないと、本調査の結果通り教師の労働時間増加が貧困状況とともに広がり、最悪教育崩壊になることもあるでしょう」
■おわりに
現在、新型コロナウイルスによる経済活動制限の影響で家庭の経済状況が悪化し、子どもの教育環境も悪化することが予想される昨今、就学援助率が上がる学校が増加することが予想されます。そのような小学校に勤務する教員は最悪バーンアウトに追い込まれるかもしれません。本調査はそのための政策提言に十分に寄与しうるエビデンスを提供する研究と言えるでしょう。教育行政施策立案に本研究知見がお役に立てれば幸いです。
なお、本調査は、2018年度財団法人トヨタ財団の助成対象研究「障害者を援助する人々のメンタルヘルスの支援の検討」(プロジェクト愛称「Thanks Caregivers Project」) の一部であり、さらに日本学術振興会の科研費(17H01023)の助成を受けて実施されました。
また、本調査における統計分析において、学術研究支援組織ARS(アカデミック・リサーチ・サポート)の協力を受けました。
末筆ではございますが、ご多忙のなか、調査にご参加くださった2038名の教員の皆さんに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。大変なことが多い教職を一生のお仕事として選んでくださった、すべての教員の皆様の教員人生が幸多からんことを、願ってやみません。来世があるとしても、また教職を選びたい、そう思っていただけるような教職人生でありますように。今後も当プロジェクトは、対人支援職としての教員の職場環境改善のための研究を続けて参ります。>本研究を深く理解するための優れた先行研究の一例<市川昭午(2015)『教職研修の理論と構造 要請・免許・採用・評価』,教育開発研究所.?藤田英典・油布佐和子・酒井朗・秋葉昌樹(1995)「教師の仕事と教師文化に関するエスノグラフィ的研究 -その研究枠組みと若干の実証的考察-,『東京大学大学院教育学研究科紀要』,35,29-66. 小川正人(2012)『現代の教育改革と教育行政』,放送大学教育振興会.酒井 朗(1998) 「多忙問題をめぐる教師文化の今日的様相」志水 宏吉編著『教育のエスノグラフィー 学校現場の今』, 223-250, 嵯峨野書院.酒井 朗(1999)「『指導の文化』と教育改革のゆくえ」油布佐和子編『教師の現在・教職の未来』, 115-136, 教育出版.山口真美(2018)「学校が家庭に求める役割とその代替のリアリティ ―社会経済的に厳しい校区を有する学校に着目して―」『教育学研究』854, 471-482.
いやしのランチミーティング
「Thanks Caregivers Project」では、Caregiversと全研究分担者との直接対話の機会「いやしのランチミーティング」を実施しました。
総合監修は「語り合い学び合う特別支援教育スキリング・プロジェクト」の研究開発責任者である能智正博東京大学教授、企画総括とメインファシリテータを当時のプロジェクト代表であった沖潮満里子青山学院大学准教授、同じくメインファシリテータを横山克貴ナラティヴ実践協働研究センター センター長が務めました。
「いやしのランチミーティング」は2020年2月に開催されました。参加いただいたのは、福祉系行政職、民生委員、NPO関係者、障碍者がご家族にいらっしゃる方、特別支援学校教員など18名で多岐にわたりました。このランチミーティングは、参加者全員が初対面だったため、まずアイスブレイクタイムを設けてから、グループミーティングを行いました。アイスブレイクタイムの実施に際してはお店の選定も慎重に行い、試食や飲食スペースの確認も事前に何度も行いました。なお、アイスブレイクタイムに食事を組み込んだのは、おしゃべりのテーマに困った際、料理の感想を選んでいただけたらという意図でした。
当日、参加者の皆様がプロジェクトメンバーらとおいしいランチをいただきながら、リラックスして交流を楽しんでいただいている状況を拝見し、スタッフ一同安堵しました。
食事が終了したのち別室での公認心理師の有資格研究者とのグループミーティングを通じて、お悩みを伺いました。
初対面の人同士でグループミーティングができるのか、プロジェクトメンバー全員が心配しましたが、この後場所を移して行われたミーティングは非常に濃密な素晴らしいものでした。参加者の満足度も非常に大きく、以下一部をご紹介させていただきます。
- 話しっぱなしでおわるのではなく、最後に能智先生が総括してくださって、自分の考えを受け止めることができた。やっぱりプロ(国家心理師)は違うと思った。近所の知り合いとで話すのとは違いますね。次回も参加したいです。
- やさしい時間をありがとうございました。とてもリラックスできました。
- 自分ががまんする環境が当たり前だと思って生きてきたが、お身内に障碍者の方がいらっしゃる沖潮先生のお話を伺い、違う考え方をしてもよいのだと思えた。自分の人生も障碍者の家族の人生も同じくらい大切に考えたい。この機会がなければそんなことは思わなかった。
- 最初に美味しいランチをいただけたのがほんとうによかった。おいしいものを食べた後は、うまく話せますね。パスタもお肉もとっても美味しかったです。このお店にまた来たいです。